李登輝先生と「日本の指針」:衆議院解散に私たちは何を託すのか

きっと悲願であっただろう総理の座に石破茂氏が座られた瞬間、石破氏は衆議院の解散を表明されました(総理就任前にその意向を表明されたことは異例のことなのでしょう)。早期の解散はあるだろうと誰もが思っていたと思いますが、こんなにも早く解散権を抜くと想像していた人は多くはなかったのではないでしょうか。いまや(2024年10月8日時点)、自由民主党はどの立候補者を公認するのかという問題がニュースで多く報道されています。一方、立憲民主党を中心に野党の多くは政権交代を目指し、石破政権や自由民主党、連立党である公明党を批判しています。様々な議論が日本の発展のためにあるべきですから、良識ある選挙が行われてほしいですね。

このように、われわれ国民の民意に議会の健全な発展が託されたこの時、私はひとりの哲人を思い出します。それは、台湾の民主化を実現した「李登輝」先生です。

大学生の時から縁があり、李登輝先生に直接学ぶ機会を何度か得てきました。李登輝先生に直接教えを受ける経験はいつでも素晴らしいものでした。李登輝先生にお会いするたびに体の中から震えて感動していたことは、先生がお亡くなりになられた今も忘れることができません。李登輝先生から風圧を感じるというか、いつお会いしても向かってくる風を感じるのです。武者震いというのでしょうか、手を握って頂く時に震えていたことを今でも確りと覚えています。

李登輝先生とお会いすることは、一人の日本人として日本を建て直すためにはどうしたらいいのかと自問自答する機会でもありました。李登輝先生から学んだ言葉は「武士道」「日本精神」「誠実自然」「我是不是我的我」など、数えきれないほど多くあります。哲人である李登輝先生の言葉を完全に伝えることができる力があればいいのですが、それは今の私にはまだまだ力量不足であると思いますから、李登輝先生から頂いたお話のひとつを今回はまとめてみたいと思います。

日本の将来は私達ひとりひとりの一票に託されているのですから、勇気をもって衆議院選挙に立候補されたすべての方々に感謝の意を捧げつつ、その立候補者の方々へ期待したい『国家を背負う指導者の条件』について私が直接お聞きした李登輝先生のお言葉を紹介したいと思います。

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( 李登輝先生による御講義の一部から抜粋 )

リーダーは孤独なのです

この部屋の窓からみえる観音山の頂上部分は崖なんです。そこに立っていると、本当に孤独なんです。

(中略)

以前、私は『愛と信仰』という本を書きました。学生時代、よくあの観音山に登りました。山の頂上は非常に狭くて、危険なのです。まわりは切り立った絶壁です。総統というのは、こういうものです。本当に孤独に立っていないといけない。

(中略)

一国の運命を左右する孤独な戦いにおいて、きちんと立っていける心持ちが必要なのです。そのような時には、神様が私といっしょだという気持ちになります。私は総統を二期十二年間やりましたが、毎日が闘争でした。古い支配階級、古い考え方、軍隊を国民党の軍隊から国家の軍隊にきりかえる、こういう種々の問題を解決していく闘いでした。

(中略)

私は聖書を読みます。イザヤ書三十七章にこういうものが出てきます。「私は自分のため、また私の下僕ダビデのために町を守って、これを救おう」というこの言葉は非常に大事です。私はこの国を守りましょう、国を大事にする・国に対する愛国の心、これをもつことが大切だということが、質問のお答えになっているでしょうか。

今の日本の政治家は、国のことを頭の中に入れていないように思えます。愛国心がないのです

そのほとんどが、個人的利益とか党の利益、権力を持つ、そのような考えを持つことが非常に強い。愛国心を如何に養うかということが戦後において完全に失われました。

(中略)

指導者となるためには、人民を我が子のように可愛がっていくという気持ちがなくてはいけません。そして、可愛がっていくためにはどうすればいいかというと、「私は私でない私」「私は日本のために生きているのだ」という気持ちが必要です。私は今年の十二月で九十歳になります。私はあと何年生きるか分かりません。しかし、国の為にはこの命を捧げなければならない、と今も考えています。今は戦争が起きているわけではありませんが、結局、この命をもって一生懸命やらなければならない、と思います。

(中略)

同胞愛なき政治家は国を滅ぼす」と。

今の日本に必要な指導者の条件は何か、結局、同胞愛なのです。愛国心がなければ、ダメなのです。

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台湾のために命を捧げた李登輝先生の人生には、常に信仰と愛国心がありました。

私自身は李登輝先生のように特定の宗教に対する信仰心を持っていませんけれども、李登輝先生が仰っていた信仰を持つということは、つまり日本人としての確りとした精神を持ちなさいということだったと受け止めています。このいわゆる、日本精神とは何でしょうか。

日本人である私たちが日本精神という言葉を説明するということを難しいと思うことを李登輝先生は危惧されていました。勿論、この「日本精神」を軍国主義の象徴である言葉として批判する方もいるでしょう。ですが、現在の台湾では「日本精神」のことを「勤勉」「信頼」「公正」などを守っている人間を指すものと解していると指摘する識者もいます。この点こそが、日本と台湾を語る上で、そして私たち日本人が「日本精神」の意味を考える上でとても重要なのだと思います。

私は、哲人としての李登輝先生の側面をこれからも学び続けていきたいと思います。混迷を深めるばかりの現代日本ですが、かつて日本人であった李登輝先生が尊んできた私たち日本人の「日本精神」を私達自身が喪失してはならないと思うのです。

( 『一般社団法人大和櫻塾 – YAMATO SAKURA JUKU
『大和櫻塾会報』2020年8月号への寄稿から一部修正。 )